井真成とは

西暦699年生まれの日本人。遣唐使船で中国に留学、西暦734年に中国で亡くなりました。
「井」が姓、「真成」が名で、日本では「い の まなり」。中国では「せい しんせい」と呼ばれています。

西暦717年、19歳で遣唐使の一員として、阿倍仲麻呂らと一緒に唐(現在の中国)に渡りました。西暦734年に唐の都・長安(現在の中国・西安)で亡くなった後は、多くの遣唐使員と同様に脚光を浴びることなく現在に至っていました。

ところが西暦2004年、西安の地中より井真成の墓誌が見つかり、一躍脚光を浴びる事になったのです。
井真成の墓誌


墓誌には「優秀な人物で皇帝から高い位が贈られ盛大な葬儀が行われた」と記されています。具体的には「尚衣奉御」という官位を贈られています。この「尚衣奉御」という官位は、皇帝の衣服を管理する官職の長で皇帝にかなり身近な立場にある高い位です。皇帝は楊貴妃とのロマンスで名高い、玄宗皇帝です。

墓誌から、玄宗皇帝から高く評価され特別な官位を贈られるほどの優秀な人物であったことがわかります。

また発見された墓誌には井真成の出身国が「日本」と記されており、現存する「日本」の文字として最古のもので、歴史的価値が非常に高いものです。この事が井真成が大きく注目されている理由でもあります。

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井真成の日本名

井真成の日本人名には諸説あります。

まず「井真成」がそのまま日本名であるという説と、中国で改名されたいう説があります。
改名説には日本人名にちなんで改名した説と全く異なる名前に改名した説があります。

日本人名にちなんで改名した説では、日本名の姓から一文字を取ったと考えられます。
「井」が姓、「真成」が名なのですが、中国では姓は一文字なので、日本名の姓から「井」の一文字を取ったのではないかと言われています。
このことから、当時、多くの外交官(遣唐使)を輩出していた「葛井(ふじい)氏」または「井上(いのへ)氏」の一族であるという説が有力です。

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井真成の出生地は大阪府藤井寺市?

井真成が「葛井(ふじい)氏」または「井上(いのへ)氏」の一族であるという説が有力なことから、これらの一族が住んでいた「大阪府藤井寺市」が出生地として有力です。

他には「奈良県の葛城」「熊本県」などが出生地であるとの説があります。

藤井寺は交通の要所で東西、南北の街道が通っていました。そこには多くの有力氏族が集落をつくり、氏寺を持っていました。葛井氏は葛井寺を、井上氏は衣縫廃寺を氏寺としていたと考えられます。葛井氏や井上氏のような渡来系氏族は、大陸とのつながりから常に新しい文化を採り入れ、多くの優秀な人材を輩出していたのです。

大阪府藤井寺市では墓誌発見のニュース直後より、藤井寺が出生地の可能性が高いことから、「せめて墓誌の形ででも里帰りを」と墓誌を藤井寺に持ってくる運動が起き、2005年に実現しています。
近鉄電車の藤井寺駅前には「ようこそ、遣唐使のふるさと、藤井寺へ」の看板が立てられて、井真成の出生地であることをアピールしています。
井真成の藤井寺駅前看板

藤井寺市の葛井寺(ふじいでら)の南大門横に井真成の墓標が立てられています。これには「葛井真成誕生之地」と明記されています。
井真成の墓標


藤井寺市内では「吟醸 井真成」や「銘菓 井真成」が販売されています。
「銘菓 井真成」を食べたところ上品な甘みのお菓子でおいしかったです。
井真成のお菓子


井真成で街を活性化させたい意図が見え隠れして面白いです。

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