井真成の墓誌の貴重な所

【遣唐使の墓誌が中国で発見されたのは初めてなこと】
遣唐使は日本に先進国であった唐の制度や文化を学ぶために行われ、古代日本に多大な功績を残しています。遣唐使のなかで、その名を残した人はきわめて少なく、井真成のほかにも無名の日本人留学生や留学僧が数多く、身の危険をおかしてまでも中国へ学びに出かけたのです。
そのような遣唐使ゆかりの墓誌が中国で初めて発見されたことは画期的なことなのです。


【「国号日本」という国号が記された最古級の資料であること】
墓誌本文の2行目に「国号日本」と明記されています。西暦734年に作成された墓誌に記載されている訳です。

日本という国号は西暦701年に完成した「大宝律令」で法的に確立しました。
それまでは倭国であったのが、西暦734年には中国で「日本」という国号が認知されていたと思われます。
また、聖徳太子が西暦607年に第1回遣隋使で小野妹子を中国に派遣し「日出ずる処の天子、書を日没するところの天子に致す、つつがなきや。」という文書を、当時の皇帝に送ってから127年経って、ようやく「日本」という国号が認知されていたと考えることもできます。

井真成の墓誌本文拓本

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